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蝉は何を想って1週間を過ごすのか

短大生として迎えた2年目の春。私は今就活生だ。

 

今すべきことは何か。

 

スーツを着ること。

企業説明会に参加すること。

面接を受けること。

 

やるべき事は目に見えている。友人と言えるか定かではない友人達は慣れないリクルートスーツを体に巻き付け、その幼い顔に似つかわしくない黒く重たそうな鞄を手に緊張した面持ちで歩いている。私は黒いパンプスさえ履いていない。

 

 

人生を80年とすると私達はまだ1/4しか生きていない。この先60年という長い年月を数ヶ月で決めるというのは難しい。それでも世の中の人々はこの段階で決める。と言うか決めざるを得ない。なぜなら世の中がそういった流れだから。流れに逆らえず決めて、3年以内に3割がやめるというのは有名な話だ。私もこの3割に入ってしまうのだろうか。いや、そんなことは思っていない。私は就活生であるが就活生ではない。やるべきことはあるがやってはいない。降りるべき駅を今通り過ぎた。昔は夢に向かってあんなに熱を持っていたのに今の私にはその熱がない。このまま山手線で一周してみようか。知らない駅で降りてみるのもいい。私は就活生を辞めた。人並みの羞恥心は持ち合わせているから、就活をする友人達の中で進学もせず就職もせずの道を選ぶことが恥ずべきことであると言うのは理解できる。大声で言うことは出来ないが選択はした。これがゆとりの甘えであると言うならそうなのかもしれない。私は60年先より1年先を見ていきていきたい。たとえ後悔することになっても、やりたいことを少しずつやっていきたい。社会的に地位がなくて親や親戚に顔向けできないような人生になってしまうとしても、20年しか生きていない幼稚な私はこの道を選んでしまった。

 

若いうちにやりたいことをやれと大人たちは言うが、そうしようとすると反対するのが日本の目だ。口から出る言葉だけが綺麗な大人とやりたいことも出来ない大人ぶった子供がたくさんいるこの国で白い目に晒されながら生きてみよう。目に見えない消費期限は確かに存在している。