誰か私の心臓に開いた穴を塞いでくれ

先日友人が田舎に引っ込んだ。

 

私はこの友人ととても仲が良かったわけではないし、とても仲が悪かったわけでもない。

高校1年の時に同じクラスだった。誕生日が同じだった。同じグループにいた。

帰りは時間が合えば一緒に帰った。学校帰りに遊んだこともあった。

しかし、特別仲が良かったわけではなかった。

クラス替えが行われ教室が変わると全く話さなくなった。

 

ある日、そんな風に疎遠になってしまった友人と久々に会うことになった。一緒に夕食を食べた。

その友人は文才があり、話の内容も面白い。内容が面白いというか、物事の捉え方が他とは違っていて興味深い。

話をする中で少なくとも私は彼と話の馬が合った気がした。本当に楽しかった。

 

数日が経ち、再び彼と食事をすることになった。そのころには彼は退職の手続きを終え、田舎に引っ越す準備もほとんど終えていた。これといった別れの挨拶をするわけでもなく、また食事に行こうと約束を交わして別れた。

 

彼は東京にいた。私も東京にいた。

彼は田舎にいる。私は東京にいる。

 

文字で書くと「東京」が「田舎」に変わっただけで大きな変化はない。

しかし東京と田舎という感覚的な距離が心の中に残ってしまった。

同じ日本という小さな国にいながら、ものすごい距離を感じる。特別親しかったわけでもないのに、「彼が東京にいない」という事実が私の心臓に穴をあけている。

SNSで彼の近況を知ることはできるが全く別の世界の話のように思えてしまう。

 

ここまで書いてみて、

 

私はなぜ彼のことを書いているのだろう?

特別な親しささえなかった彼になぜここまで固執しているのだろう?

 

そうか、彼との物理的な距離を、私の脳は心の距離に変換してしまっているのか。

話の馬が合ったはずなのに、互いの存意の中に共通するものが全くなくなってしまったような、そんな気分に私の脳が自らしているのか。



答えが出た気がした。

 

 

気持ちというものは厄介である。

時に事実とは全く異なることを信じたがり、自分を暗い海の底に沈めようとする。

頭ではわかっているが気持ちがついていかないという言葉があるが、本当にそのとおりである。

私の気持ちは私のものであるが私が操縦機を握っているわけではないのだ。

考えと気持ちは別物。考えは自らコントロールし作り出したもので、気持ちはそうではない。実に厄介な代物である。

 

 

 

いつになったら私の心臓の穴は埋まるのだろうか。

早く塞いでほしい。