あと16分で終わる

深夜0時。午前0時。

 

私の思考は堂々巡り。

 

世の中にはいろんな言い方があるけど

 

私の今の気持ちを表す言葉を私は知らない。

 

 

深夜0時。

それは今日の延長にあってどうしようもないもの。

午前0時。

それは新しい時間の始まり。

 

同じ時間のようでいて全く違う。今の私には深夜0時だった。昨日の自分を延長した。延長料金は安くない。

 

私は言葉を知らなすぎるから言いたいことも言えない。伝えたいことを伝えるすべがない。何を言いたいのかさえわからなくなってきた。なにか物足りない。今日はもう考えるのはやめだ。

熱湯で7分の半熟卵

同じ学科に地味めな大人しい女の子がたくさんいます。

そしてその地味めなおとなしい女の子をバカにする、その子達の友達がいます。

 

 

「実際全く話、合わないし(笑)」

「ついていけない(笑)」

「一緒にいても楽しくないし(笑)」

「まじあいつらだるいんだよね~(笑)」

「うち高校の時とか陰キャとつるんだことないし(笑)」

「いつも馬鹿にする立場ってやつ?(笑)」

 

 

そう言って自分の友達をバカにする女の子を見ているとなんとも言えない気持ちになります。なんというか、中身が伴ってないというか、子供らしいというか、、

とにかくその悪口を言う女の子が自分とは全く違う生き物に見えます。なんとも言えない違和感を感じます。

 

その女の子は口癖が多く、「しんどい」「マジ卍」を乱用します。同じ言葉ばかり話す子はすごく足りない子に見えてしまって、日々申し訳なく思います。

 

会話の中で年齢に伴わない精神を見せて、言葉の使い方で足りなさを出して、人を見下すことで自分を上げる彼女は本当に何も見えていない。私も大して見える訳ではありませんが、彼女が不憫に思えます。そのうち失ったものから見え始めて、最後には過去に自分が持っていたものを見ることになる気がして、なんとも言えなくなります。

日本には自分を下げて他人を上げる言葉が存在するのに、他人を下げて自分を上げる彼女はすごく不自然です。

 

 

そう考える私もまた不自然なのか

年相応ってなかなかに難しい

親戚の家に泊まっています

 

 

親戚の人に

 

「心配になるんだから夜遅くなる時とか泊まる時は連絡しなさいね」

 

って言われると

 

「(あなたに何かあったら私が責められるって)心配になるんだから夜遅くなる時とか泊まる時は連絡しなさいね」

 

って聞こえる私はひねくれてるんでしょうか。

 

純粋に心配するなんてあるんでしょうか。

新年を迎えてさらに寒さが増した。

 

加えて酸素が濃くなったように感じる。

 

私の頭の中はいつだって酸素に満たされていて

 

今にも壊れそうだ。

 

過呼吸になった時のように

 

失神する直前のように

 

私の脳内は酸素に満たされている。

 

普通に息をしているようで

 

私の脳は酸素しか飲み込んでいない。

 

時々くる動機と不安は

 

濃すぎる酸素のせいだろうか。

 

急にこみ上げる吐き気と頭痛は

 

息をしている私への罰なのか。

 

 

さあ、眠ろう

弔い

高校時代、自分を傷つけ続けていたわたしがいました。

 

 

 

 

「私リスカしてるんだ」

 

友達が見せてきたことがあります。どんなに小さな傷でも自傷行為してる自分を知って欲しかった彼女は淋しい人なんだと思いました。

 

その傷とは言えないような浅く小さな傷に、どんな意味があったのかはわかりません。友達は私に心配して欲しかったのか、、

 

リストカット

 

その遠いようで身近なフレーズは決して表に出ることのない言葉だと思っていました。やった人だけが知る世界。リストカットは心の弱い人だけが誰かに心配して欲しくて行う、淋しい行為だと思っていました。それ故に私には全く関係のないことだと思っていました。

 

わたしが初めて自らを傷つけたのは高校1年の秋でした。あの頃私は友人に軽いストーカー行為を受けていました。その友人とは帰る方向が同じだったこともあり度々一緒に帰ったりしていましたが、告白されてからは何かと理由をつけて断っていました。しかし違うルートで帰っても、時間をずらして帰っても、友人は必ずその先にいるのです。初めて友人を怖いと思いました。ひどい時には家の前まで来ていました。そのうち私はバスと電車を利用して登校するようになります。気づけば同じバス同じ電車で登校しています。たまたまかと思い時間をずらしてみてもやっぱりいます。挙句の果てには手を握られキスまでされました。本当に恐怖でした。吐き気がこみ上げ電車に乗ることさえ怖くなりました。そしてある日気づいたら自宅のトイレでわたしの左手から血が流れていました。何も考えず、痛みすらなく、ただただワイシャツの袖が赤く染まっていきます。わたしの右手には定番のカミソリがありました。ふと我に帰り、慌てて手首をおさえました。家族に知られる前にと必死に袖口を洗い流し、傷はガーゼと包帯で隠しました。一度手を出してしまえば後戻りはできません。手首の赤みに気づいては処置を繰り返す日々が続きました。日に日に傷は増え、深さを増していきます。

   そんな状態の時もストーカー行為はエスカレートしていきます。弱り目に祟り目。泣きっ面に蜂。同じ頃に親しくしていた友人とも関係が壊れてしまいます。それに伴い、わたしの行為にも拍車がかかりました。傷だらけの左腕。時には貧血を起こし倒れたこともありました。わたしのやっていることは他人に知られてはいけないことだと必死に隠しました。その時過去に傷を見せてきた友人を思い出しました。何故見せてきたのかさらに謎が深まりました。わたしは死にたくてどうしょうもなくてやっていた訳ではありません。あの友人のように誰かに見せるために切っているわけでもありません。ただ自分がしている行為の理由は分かりませんでした。切れ味が悪くなると買い直すくらいにはおかしくなっていました。今でも傷は消えていませんし、この先も消えることはないのだと思います。

   こんな話を公の場で文字に起こしてしまったこと本当に申し訳なく思います。これを読ん出くださった方には不快な思いをさせるかも知れません。だからなんだよ?と苛立たせてしまうかも知れません。勢いで書いてしまって本当に申し訳ない。他人には知られてはいけないことと知りながら書いてしまうのは、やはり私も心の弱い淋しい人間なのでしょう。今となってはわかりませんが、当時の自分はまるで自分でないような、自分であり記憶もあるが全くの別人のような感覚があります。自分の中に他の誰かが生きているような気がして、ただ今は眠っているだけのような気がしてならないのです。

 

 

 

 

自分の中には他人を生みたくないと思ったので書きました。当時のわたしのお葬式です。自己満足にお付き合い頂きありがとうございます。

名前が左右する関係

名前は不思議な力を持っていると思う。

 

私達は生まれた瞬間から同じ名前で呼ばれ続ける。生まれてから今に至るまで一度たりとも変わらない名前というものには、皆無意識のうちに愛着が湧いている。

 

好きな人に名前を呼ばれると嬉しいのも、自分と同じものに愛着を持っていると錯覚するからではないかと思う。そうして人は無意識のうちに自分の名前を様々な判断基準に使っている。

 

私が今回話したいのは、名前が親しくなれるかどうかの判断に使えるということである。

先日、バイト先の人(以降Tさんと呼ぶ)とのこんな出来事があった。

 

 

Tさんは年下だが私より長く働いていて、経歴的には先輩にあたる。Tさんは普段、私のことを菊池さん(仮称)と呼ぶ。普通に話す分には楽しめるし何の問題もないのだが、いきなり下の名前で呼ばれることがある。普通に話している途中で菊池(仮称)から悠さん(仮称)に変えてくるのである。ラインで二言前には菊池さん(仮称)なのにいきなり悠さん(仮称)に変えてくる。急に名前を呼ばれてキュンとしたなんて話が世の中には存在するが、大変失礼な話で、この時私は単に 気持ち悪い としか思えなかった。

 

後にバイトをしていたある日、社員さんの一人(以降Aさんと呼ぶ)と話をしているといきなり下の名前を呼ばれた。この人もたびたび急に下の名前を読んでくる人で、いつも驚かされる。しかし私の場合Aさんに呼ばれたときは、Tさんの時のような気持ち悪さは感じられず、むしろ嬉しさが滲むのだ。

 

 

「自分の中の潜在的な部分が相手を拒否している場合、下の名前を呼ばれると全く嬉しくない」

 

 

この場合、嬉しくないどころか嫌悪さえ湧いてくる場合がある。呼び方に特徴があるわけでも、甘えた声で呼ばれたわけでもないが、Tさんには気持ち悪さをAさんには嬉しさを抱いた。

 

 

よく考えてみるとTさんとの会話の中で度々「ん?」と思うことがあった。その時は深く考えなかったが、今回の出来事で、私はTさんとは合わないのだ とはっきり分かった。親しくなると下の名前で呼ぶのが一般的な日本では、下の名前を呼ばれたくない=親しくなりたくないということになる。つまり潜在的な部分が相手を拒否しているのだ。

 

「名前を呼んだ」というたった一つの事実が、知り合った人との関係を左右するサインになるなど変な話だが、感覚的なものばっかりはどうしようもない。もちろんこの感覚だけに囚われて交友関係を狭める必要は無いし、そんなことしていたら世界が狭くなってしまう。しかし親しくできそうかという判断の一つとして頭の隅に置いておいても邪魔にはならないだろう。この感覚を上手く利用したいものである。

 

嗚呼、名前を呼んで欲しい

文字の速さ


私はすごい速さで書かれる文字の音が嫌い

表現力の乏しい私には、その文字の速さを文章で表現することは出来ないが、とにかくものすごい速さで書かれるのである。

あの速い音がどうしても好きになれない。

あんなに速く書かれた文字には意味が無いような気がする。ただ書かれているだけで、文字として形があるだけで、本当の文字としての意味は何一つとして持っていないようなそんな無意味な記号に思えてしまう。書かれているうちに意味が生まれるはずなのに、意味が追いつく前に書き終えられるのだ。

私はあの速い音を聞くと焦る。落ち着かなくなってどうしていいか分からなくなる。呼吸が乱れるような苦しさがある。先を急げと言われているようで、脅されているみたいだ。

だから文字をすごい速さで書く人が苦手だ。速い文字の音で私を焦らせる人を好きになれない。

意味の無い文字をべらべらと書く人は意味の無い言葉をベラベラと話す。表面上の、形しかない言葉で傷つける。そういう人はボキャブラリーだけは豊富である。きちんと理解し知識となるまでは行かないが言葉そのものは知っているという意味でだが。私はたくさんの言葉を知らなくてもいいから、中身を大切にしたいと思う。綺麗事だろうがなんだろうが構わない。抜け殻のようにはなりたくない。

ほんの少しでもいいから私の文字には価値を持たせたい。